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古代史

天孫降臨の時期は?

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 私は、以前に次の文章をこのブログで書いています。

「あくまで私見ですが、天孫降臨とは、紀元前233年頃に壱岐・対馬を中心に勢力を保持していた“海族”である「天孫(ニニギノ命)」(天とは、海の美称。) が、海を渡って、筑紫地方に侵入したものです。『魏志倭人伝』にある「大人」は、侵入者の子孫で、「下戸」は、被支配者の子孫です。この大人の階級から卑弥呼(ひみか)が現れました。」

 ここで、天孫降臨の時期を「紀元前233年頃」とした理由は、古事記の序文に記載された年数(2倍年暦)を710年から逆算して算出したものです。残念ながら、古事記が手元にありませんので、具体的にその内容を記載することはできません。

 この紀元前233年とは、中国大陸において「秦」が「東周」を滅ぼし、始皇帝が中国を統一したの年までの間にあるのです。つまり、中国大陸での“下克上”が、西日本において、出雲王朝に「国譲り」を迫り、九州の博多湾岸に侵入するとういう下克上を生じさせたと考えるのです。

 私は、中国大陸での“政変”が、日本の政治体制に大きな影響を与えるという事実が、すでに2000年以上前から生じていたことを知りました。

 ここで、ではなぜ、出雲王朝を滅ぼさずに、「国譲り」としたのかという疑問が生じます。この問題については、今後の課題とさせていただきます。


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