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天孫降臨について

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 みなさんは、天孫降臨という言葉をご存知だと思います。天皇の祖先が、「天から降りたって、この日本を統治された」という程度でご存知でしょう。

 しかし、現在の天皇も天皇の祖先も“人間”ですから、天から降りることは出来ません(笑)。それで、天孫降臨など架空の話だと、特に左翼系や進歩派の評論家は主張していたのです。

 では、古事記(712年に編纂)はどのように記述しているのでしょうか?

 古事記には、「竺紫(つくし)の日向(ひむか)の高千穂(たかちほ)のくじふる嶽(たけ)に天降りまさしめき。」、(中略)
「此此(ここ)は韓国(からくに)に向ひ、笠沙(かささ)の御前(みさき)を眞來通(まきとほ)りて、朝日の直刺(たださ)す國、夕日の日照る國なり。故、此此は甚吉(いとよ)き地(ところ)。」と書かかれています。

 この「日向」は、「ヒムカ」でも「ヒュウガ」でもありません。「ヒナタ」と呼ぶべきです。福岡県には、日向(ヒナタ)峠があります。また、「竺紫」は、九州全体を指すのではなく、現在の福岡県の筑紫地方を指していると考えます。
さらには、「韓国に向かひ」とあるので福岡県以外に考えられないでしょう。

 あくまで私見ですが、天孫降臨とは、紀元前233年頃に壱岐・対馬を中心に勢力を保持していた“海族”である「天孫(ニニギノ命)」(天とは、海の美称。) が、海を渡って、筑紫地方に侵入したものです。『魏志倭人伝』にある「大人」は、侵入者の子孫で、「下戸」は、被支配者の子孫です。この大人の階級から卑弥呼が現れました。
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